今日1月19日,京都新聞など全国的に配信された学校法人平安女学院に関する記事を読んで驚いた。山岡景一郎氏は,いまだに学校法人平安女学院の理事長と,平安女学院大学学長をやっていたのだ。

今回の事件は,京都新聞によると,平安女学院中学・高校(京都市上京区)の教員4人が、山岡景一郎理事長の学校運営を批判したところ、その報復として副校長や教頭を解任されるなど不当な扱いを受けたとして、法人と山岡景一郎理事長に対し地位確認と損害賠償を求めて京都地裁へ提訴したとの内容であった。

また,同記事では「訴状によると、理事長は2003~11年、教員に根拠のない懲戒処分を行うなど強引な経営を行った」とも書いてある。山岡景一郎が2003~11年の8年間に,教職員に対し,どのような「根拠のない懲戒処分」を行ったか詳細はわからないが,かかる権利侵害は教職員だけではない。学生に対して極めて大きな権利侵害を起こしたことも忘れてはならない。

それは,「平安女学院大学びわ湖守山キャンパス就学権確認訴訟」として闘われた。私たちは,「平安女学院大学びわ湖守山キャンパス就学権確認訴訟を支援する大学人の会」を結成し,山岡景一郎理事長に対して大阪地裁,大阪高察,さらには最高裁まで訴訟を提起した1人の女子学生を支援した。

2007年の平安女学院大学のキャンパス移転は,大学を誘致した自治体の巨額な補助金の取得とも絡み,山岡景一郎理事長と,立命館大学理事長(当時,川本八郎)の水面下での結託によって,実施されたものであった。立命館大学の変質は,すでにこの時にピークに達していた。

この約1年間にわたった闘いの全史(全ての記録)は,下で確認することが可能である。

ドキュメント「守山キャンパス移転・統合・譲渡問題 全記録」その7(2005年01月~2005年03月)12/12追加
ドキュメント「守山キャンパス移転・統合・譲渡問題 全記録」その6(2004年12月)
ドキュメント「守山キャンパス移転・統合・譲渡問題 全記録」その5(2004年10月~2004年11月)
ドキュメント「守山キャンパス移転・統合・譲渡問題 全記録」その4(2004年08月~2004年09月)
ドキュメント「守山キャンパス移転・統合・譲渡問題 全記録」その3(2004年06月~2004年07月)
ドキュメント「守山キャンパス移転・統合・譲渡問題 全記録」その2(2004年04月~2004年05月)
ドキュメント「守山キャンパス移転・統合・譲渡問題 全記録」その1(1997年12月~2004年3月)未完)

平安女学院は,この就学権確認訴訟の後,どのような展開を遂げたか。今日の新聞記事によると,記者会見の席上,原告の教員は「これ以上独裁体制が続くと,学校は滅びる」と述べた。ネットで調べてみると,この独裁体制は,2011年,2012年においても,不当解雇を引き起こしていたことが,京都第一法律事務所の「事件報告」にも記載されていた。
https://www.daiichi.gr.jp/publication/makieya/p-2013f/p-06