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石原 俊 大学ファンドと国際卓越研究大学がもたらすもの――戦後大学史上、第4の衝撃

2023年1月25日中央公論編集部

目次
01 大学改革が国家主義化する
02 問題だらけの卓越大制度、ギャンブルとしての大学ファンド

2022年5月、「国際卓越研究大学の研究及び研究成果の活用のための体制の強化に関する法律」が、国会で成立しました。文部科学大臣が「国際的に卓越した研究の展開及び経済社会に変化をもたらす研究成果の活用が相当程度見込まれる大学」を数校、国際卓越研究大学(以下、卓越大)に認定し、政府が科学技術振興機構(JST)に運用させる10兆円規模の大学ファンドの運用益から、年間数百億円ずつを助成する制度(以下、卓越大制度)です。22年12月に卓越大の公募が始まり、23年秋頃に結果が公表され、支援開始は24年度からとなります。

東京大学の年間予算が約2800億円で、小規模な国立大学では20~30億円程度ですので、大学ファンドからの支援は、日本の大学関連助成において前代未聞の規模です。一方で卓越大には、事業規模で年3%以上の実質成長率の達成、大学の最高意思決定機関として過半数の学外出身者からなる「合議体」の新設が求められます。この合議体は学長の選考・解任の権限をもつなど、ガバナンスの大改革が義務づけられます。

卓越大制度は、戦後日本の大学史上、4度目の大変革にあたるでしょう。最初が1948~49年の新制大学の発足、2度目は91年の大学設置基準の大綱化に伴う一般教養課程の廃止と、同年に事実上始まった大学院重点化政策、3度目は2004年の国立大学法人化で、これらに続く第4の衝撃がいまもたらされているのです。

筆者は近年の日本における大学改革の傾向を一言で表現するならば、「大学改革の国家主義化」がふさわしいと考えます。「国家主義化」というやや強い言葉を使うのは、政府が大学の研究・教育の中身や研究組織・教育組織のあり方にまで介入できるように、大学の自治を壊す傾向が顕著になってきたからです。

大学改革という言説が社会に広まったのは、20世紀末の大綱化・大学院重点化がきっかけでした。しかし後述するように、大学改革の国家主義化が始まったのは、まことに皮肉なことですが、全教職員が非公務員化された04年の国立大学法人化以降です。そして、今回の卓越大制度は、大学改革の国家主義化を極端に推し進めることになるでしょう。

大学改革が国家主義化する

大学改革の国家主義化を考えるとき、「大学改革」一般と「大学ガバナンス改革」を峻別すると、推移を適切に捉えることができます。

国立大学法人化を経て、2010~11年の民主党の菅直人政権あたりまでは、日本の大学改革は世界的な構造改革路線とおおむね軌を一にしていました。

たとえば法人化をきっかけに、国立大学に交付される定常的経費(運営費交付金)が削減されていき、代わりに研究・教育プロジェクト型の時限付き補助金(競争的な研究費・教育費。以下、競争的資金)が増額されました。安定して人件費に使える予算が減ったため、教職員の非正規雇用が急増し、さまざまな矛盾が深刻化しました。ただし、このような大学に対する「選択と集中」路線は日本独自の政策ではなく、世界各国の国公立大学政策で採用されてきたことも事実です。

ところが12年、次の野田佳彦政権下で文科省が発表した「大学改革実行プラン」で「大学ガバナンス強化」が政策として掲げられ、直後に自民党が政権奪還を果たして第2次安倍晋三政権が発足すると、西側先進国の中でもやや異例といえる大学政策が始まります。大学政策の主導権は文科省から内閣府に移され、従前の構造改革路線をも超えて、財界の意向も汲みつつ、国が大学の研究・教育の中身にまで本格的に介入できる条件整備が目指されました。

西側先進国の大学では、日本国憲法23条にも定められている学問の自由や、これと不可分な大学の自治の原則が尊重されてきました。学問の自由や大学の自治は、二つの側面をもっています。

第1に、大学の外部勢力の意向を忖度せず研究者らが研究や教育を行えて、学生らがその成果を享受できるという意味での自由と自治です。

第2に、大学の学術分野の多様性を維持するため、非研究者を含む経営組織(理事会など)や一分野の専門家にすぎない大学執行部(学長ら)が、学内の研究・教育や研究者人事についてトップダウンで意思決定することを排し、専門家同士の相互評価(ピアレビュー)を尊重するという意味での自由と自治です。

日本では戦後の新制大学の発足以降、教授会などの研究者の会議体が、ピアレビュー結果に基づいて、ボトムアップで意思決定する仕組みが尊重されてきました。それが04年の法人化を契機に、国立大学のガバナンスがトップダウン化し始めます。同年から各公立大学でも法人化が進み、同様の状況が生まれました。それでも10年代前半までは、多くの国公立大学で、トップダウン化したのは経営事項や学長選考方法などに限られ、研究・教育事項や研究者人事に関しては専門家のピアレビュー結果が尊重されていました。ところが第2次安倍政権発足後、研究・教育上の自由・自治にも切り込んでいく大学ガバナンス改革が進められたのです。

14年、下村博文(はくぶん)文科大臣のもとで学校教育法93条の改正が行われ、大学における「重要な事項を審議する」機関であった教授会が、学長が定める諮問事項について「審議し」「意見を述べる」機関に「格下げ」されました。これ以降、学長や理事会が研究・教育事項や研究者人事を含むすべてをトップダウンで決定できるという、間違った「法解釈」がまかり通る事態も生じています。

一分野の専門家にすぎない学長や非研究者である理事長が、教育・研究・診療の現場のニーズを否定して経営の観点に偏った決定を行ったり、人事委員会や教授会のピアレビュー結果を拒否して個別の研究者人事に直接介入するといった事件が頻発するようになりました。いま少なからぬ大学で、学長ら少数の大学執行部と多数の教職員の間に激しい対立が生じたり、執行部に対して批判的な教員が異様な高率で懲戒に処せられたりする事例がみられます。

15年には、下村文科大臣名で各国立大学に対して、人文社会科学系・教員養成系の学部・大学院を「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努める」指示が通知され、かなりの騒ぎになりました。

文科省高等教育局は、この通知は「文系廃止」指示ではないとして火消しに追われます。ただ高等教育局自身も認めたように、この通知は少なくとも、国立大学のいわゆるゼロ免課程(新課程)に関しては廃止の徹底を指示するものでした。

ゼロ免課程とは、地方国立大学の教員養成系学部に1980年代から設置されてきた、人文学・基礎科学などが学べる、教員免許の取得を前提としないコースです。経済力をあまりもたない若者に、地方国立大学で希望する分野を専攻する道を与えてきましたが、現場の教員・学生・卒業生らの反対にもかかわらず、原則廃止とされました。

このように、政府が全国一律で学部やコースの改廃を行うに際して、また将来的には大学自体の再編・統合を進めるにあたって、現場の研究者が公的ルートで異論を表明できないようにするためには、ボトムアップの意思決定のルートを塞ぐ必要がありました。トップダウン化ありきの大学ガバナンス改革が進められた背景には、こうした国家主義的発想が底流にあるのです。

問題だらけの卓越大制度、ギャンブルとしての大学ファンド

筆者は今回の卓越大制度について、問題点が多数かつ深刻であり、前述した戦後の3度の変革と比べても、最も悪手の変革になりうるとみています。

第1の問題点は、大学ファンドの助成を受ける卓越大の認定には、時の政権の意向が強く反映される一方、学術専門家の意見が従来になく軽視されることです。卓越大の最終的な認定権者は文科大臣ですが、首相が議長を務める内閣府総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の意見をふまえて選定することになっています。CSTIの議員は14名ですが、うち6名が閣僚で占められ、7名の有識者は首相による任名です。

これまで研究・教育にかかわる競争的資金は、日本学術振興会(JSPS)のデータベースに登録されている約14万人の研究者から同分野・近接分野の専門家が選ばれて、ピアレビュー方式で採否が決められてきました。大学ファンドからの助成はこうした競争的資金と異なり、研究・教育に使途が限定されないという差違はあるものの、卓越大の認定が国家主義的であることは明白です。

第2の問題点は、大学単位で認定される卓越大制度が、分野単位や学会単位で動いている学術研究の論理を無視していることです。従来の大部分の競争的資金は大学単位ではなく、研究者のグループ単位で選定されてきました。多様な分野を抱える大学ごとの単位で公正な総合評価を行うことなど、原理的に不可能です。

第3の問題点は、旧帝国大学などの大規模大学または大学院大学など中小規模の研究大学を想定している卓越大制度が、大学間格差や高等教育の地域間不平等を著しく拡大してしまうことです。すでに旧帝大と地方国立大の間には運営費交付金の配分で大きな格差があるのに、大学ファンドでさらに資金が偏ります。

しかし、画期的なイノベーションは旧帝大や研究大学からのみ生まれるわけではありません。裾野の広がりがないまま「高い山」だけを作ろうとしても、学術研究の論理からみれば持続可能性がありません。

また前述のように、地方国立大学では従来存在した専門分野が次々と削減される事態が進んでいますが、大学ファンドは高等教育機関の「選択と集中」をさらに進めます。卓越大制度は、将来の受験生や地域社会をも翻弄することになるのです。

(続きは『中央公論』2023年2月号で)