東洋経済オンライン(2023/03/15)

これまでの奨学金に関する報道は、極端に悲劇的な事例が取り上げられがちだった。
たしかに返済を苦にして破産に至る人もいるが、お金という意味で言えば、「授業料の値上がり」「親側におしよせる、可処分所得の減少」「上がらない給料」など、ほかにもさまざまな要素が絡まっており、制度の是非を単体で論ずるのはなかなか難しい。また、「借りない」ことがつねに最適解とは言えず、奨学金によって人生を好転させた人も少なからず存在している。
そこで、本連載では「奨学金を借りたことで、価値観や生き方に起きた変化」という観点で、幅広い当事者に取材。さまざまなライフストーリーを通じ、高校生たちが今後の人生の参考にできるような、リアルな事例を積み重ねていく。

「銀行はお金を貸すときに厳格に審査をしますよね。将来ちゃんと返済できるのか、わざわざ計画書まで提出させてモニタリングをして。しかし、奨学金の場合は相手が学生ということもあってそこまではせず、書類のやり取りで成立してしまう……それが、今の奨学金問題の一因だと思います」

そう語るのは、大手コンサルティング会社に勤務する高瀬聡史さん(仮名・39歳)。「機会があれば日本学生支援機構(JASSO)のコンサルをしてみたい」と述べる彼のクライアントは、誰もが知る大手企業から国の機関など幅広く、自身の年収は4000万円を超える。

■北海道の激動の時代に幼少期を過ごす

そんな高瀬さんだが、この連載に登場するということは、当然ながらこれまで奨学金のお世話になってきたということだ。しかも、彼の借りた額は、奨学金第一種(無利子)で960万円とかなり高額である。
奨学金借りたら人生こうなった

その背景にあるのは彼が北海道出身であること、父親が建設や土木を生業にしていたことだ。

「子どものときに北海道拓殖銀行が経営破綻したり、夕張市が破綻したり、地元にさまざまな公共事業を持ってきていた政治家が失脚したり、幼少期の少年の人格形成に多大な影響を及ぼすような事件がたくさん起きていました」

激動の少年時代を経て、中学卒業後は地元の高等専門学校に進んだ。

「もともと、理科と数学が好きだったのですが、高専という学校の存在を知ってからは、『そこに通えばもっと理科と数学を学べる!(そして学費が安いので実家を少しは助けられる)』と思い、必死で受験勉強をしました。それまでの自分の成績は決して優秀ではないものの、悪くもないというぐらいだったのですが、高専に進むと決めてからは勉強にも身が入るようになり、成績も上がっていきました」

とはいえ、田舎の学校ゆえ、満足のいくような勉強環境ではなかったという。

「大人になってみて思ったのは、高専には大きく分けて2種類あるということです。1つは田舎にある進学率の悪い学校で、もう1つは関東圏にある『大学進学率9割』みたいな隠れ進学校。僕ですか??もちろん、通っていたのは前者のほうです(笑)。

入学当初は40人いたクラスメイトも勉強しない人が多く、途中で留年や退学したりしていなくなるので、卒業する頃には30人ぐらいに減ってしまい、その中から大学まで進む人は自分を含めて10人程度でしたね」

同級生の中にはギャンブルで身を滅ぼしてしまったり、道を踏み外す者もいたという。そんな中でも真面目に勉強を続けた高瀬さんは、卒業後に関東の国立大学に進学(編入)することができた。

「生命の神秘や起源を追究したり、世界で活躍するような研究者や科学者になりたかったんですよね。高専は卒業すると大学の3年に編入できるので、そこからバイオテクノロジー系の学部に入りました」

■実家の経済状況が悪化し、さらに奨学金を頼りに

研究者を目指すということは、必然的に大学院進学を見据えなければならない。しかし、そんな折に実家の経済状況がいよいよ悪化してしまう。

「進学のタイミングと同時に、先ほど述べた北海道経済の悪影響を受けて、父が勤めていた会社の業績が悪化してしまったんです。なんとか潰れる前に脱出できたようですが、その後の仕事が見つからずに出稼ぎの警備員や建設作業員で食いつなぐほかに術はなかったのでしょう。実家に頼ることはできなくなってしまいました」

いくら国立大学とはいえ、理系はお金がかかる。加えて、家賃や生活費のかかる一人暮らしだ。そこで、高瀬さんは奨学金にさらに頼ることにした。

「実際は高専のときから借りていたので、高専・大学・大学院の合計12年間で960万円を借りたことになります。当時は借りられるだけ借りたはずなのですが、結果的には全然足りなかったですね。

そこで、ゴミ収集や引っ越し、倉庫、コンビニ、飲食店、あるいは家庭教師や研究所のマウスのお世話などさまざまなアルバイトで生活費と学費を稼ぎつつ、貧困家庭に対する免除制度を使って授業料や入学金の減額申請をしていました。

免除を受けられる枠は決まっているので、漏れることもありますが、漏れたときでも半額免除に引っかかったりと、なんとか乗り切ることができました。総額で8割ぐらいは学費を免除してもらっていますね」

奨学金と減額申請を駆使して、研究者を目指す生活。しかし、国立の大学と大学院は、よくも悪くも高専時代とは勉強環境が大きく違った。

「大学院で出会った友人たちは、裕福なご家庭の子どもたちが多かったように思います。僕は必死にアルバイトと研究に明け暮れているのに、彼らは家が太いから普段の生活を心配することなく、存分に研究に打ち込めるんです。やっぱり、時間を費やした分だけ研究は成果が出るので、そこはうらやましかったですよね。

それに、一緒に飲みに行くことがあっても、まず普段の僕なら行けないようなお店を選んできますし、そこに『お父さんからもらった高級車』でやって来るんですよ。今だから笑って話せていますけど、当時は惨めでしたね。お金で教育格差は本当に生まれるんですよ」

そんな彼らに負けじと高瀬さんは研究に打ち込んだが、思うように結果は出ない。しかし、博士課程在籍中に大きな転機が訪れる。

「周りがみんな行っているものだから、僕も海外留学に行きたいと思うようになったんですね。そこで留学の費用を稼ぐため、とあるシンクタンクで調査研究のバイトを始めたのですが、そこでの仕事が結構楽しくて。留学はしたものの、3カ月で戻ってきてしまい、28歳のときにそのシンクタンクに新卒で就職することにしたんです。大学院で勉強してきた専門性を生かすことができたのが要因でした」

■自分に自信をつけ、ほかの厳しい状況の人も知った

科学者の夢は断念せざるをえなかったが、就活氷河期にもかかわらず、人気企業に入ることができた。ところが、いざ入社してみると、配属されたチームは全員東大出身。名の知れた大企業のご子息もいたという。

しかし、自分に自信をつけたこともあり、「学生時代と違って惨めな気持ちにはならなかった」と高瀬さんは振り返る。

「『上を見てもキリがないし、下を見てもキリがない』と思うようになったんです。努力をすればどうにかなるということを実感したのと、いざ社会に出てみると、世界にはもっと厳しい状況の人たちがいて、その人たちもハングリー精神ではい上がってきていることを知って。それでも、教育格差自体はよくないと思いますけどね」

シンクタンクで2?3年働いたのち、今も在籍している大手コンサルティング会社に転職。年収は4000万円を超えるが、今でも奨学金の返済中だ。

「1?2年目から年収は500万?600万円近くありましたが、それでも毎月の返済額は5万?6万円もあったので、それなりの負担にはなりましたね。とはいえ、学生時代は全然お金がなかったし、奨学金のおかげでここまで来れたので、5万?6万円は軽くはないけど『しょうがない』という感じでしたね。

それでも、この間大学院の修士課程で借りた分はまとめて返済したので、今の返済額は毎月2万円程度で、残りの返済額は200万円です。利子がつかないので一括で返す必要もないのと、あとはJASSOのサイトのパスワードを忘れてしまったから、返していないだけなんですよね」

奨学金を借りながら、周囲との格差に苦しみながらもはいずり回ってきた高瀬さん。激動の時代を共に生きてきた同郷の友人たちの中には、努力せずに沈んでしまった者もいる……。彼らを反面教師にしながら、高瀬さんは成功の「出口」を見いだしてきた。

「やっぱり、反骨精神ですよね。人間というのはつねに自分の世界というか、袋小路に入り込んでいます。僕の場合、高専在籍中はそこから見える景色しか世界はありませんでしたが、そこで頑張って成績優秀で卒業したことで次の扉を見つけて開くことができ、また新しい世界が広がった。そうやって、毎回努力をして次の部屋の扉を探していく。人生はその繰り返しだと思うんです」

■年を追うごとに形成された「反骨精神」

とはいえ、そのストイックな生き方ゆえ、社会人としてのキャリア形成は成功したが、プライベートでは離婚と再婚を経験。子どもは合わせて3人もいて、それはそれで波瀾万丈な感じもする。

「仕事で出ずっぱりだったのが、1つの要因でしょう。でも、1番の理由は反骨精神のあり方だと思います。やっぱり、社会人1年目の年収500万?600万円だったときと、年収4000万円を超えた今の自分の考え方や仕事能力は大きく違うんですよ。その結果、前妻とは価値観が合わなくなってしまって。

自分は『次の部屋への出口』を探し出すためにつねにガムシャラに生き続けたいのですが、前妻は『もう安定してやっていけるのだから、そんなに頑張らなくてもいいじゃん』という考え方なんですよね。日々成長を続けたいという、僕の生き方についていくのが、嫌になったのでしょうね」

理解はしたいが、なかなかその生き方には共感してもらいにくそうな高瀬さん。奨学金についても、普段本連載でよく出てくる「借金」という捉え方はせずに、「融資」と考えている。

「学生時代に1000万円借りているというのは、なかなかヤバいことだとは認識していました。『これは死ぬ気でやらないと……』という気持ちにさせられます。その奨学金で当初は科学者になりたいと思っていましたが、残念ながら研究結果を出せずに断念せざるをえませんでした。同時に科学者はなかなか稼げずに、大発見をしたところで、この世界はさほど変わらないということも思い知りました。

それであれば、『世の中にインパクトを与えられるような仕事がしたい』と思うようになり、シンクタンクを経てコンサルティング会社に入ったわけです。やっぱり『チャレンジしたい』『社会にインパクトを与えたい』という気持ちがつねに先行している気がして、これは昔からそうではなく、年を追うごとにこのような考え方になったのだと思います」

■現在の奨学金制度に抱く「本音」

だからこそ、現在の奨学金制度には一家言あるようだ。

「以前、JASSOの就職セミナーのサイトを見たところ、大学の講師が受け持っているものがほとんどで、それではいけないと思ったんですよ。というのも、これは私自身がかつて研究者を目指していたからこそわかることですが、多くの大学講師はお金がなくて苦しんでいますし、教授になれたとしても、キャリアについて教えられることは少ない気がするんです。

むしろ、日本には外資系のコンサル企業、投資銀行、グローバルビジネス最前線にいるような、年収何千万・何億円という社会人が実はたくさん存在するため、そういった者たちが就職のアドバイスをしたほうが、学生の学びになる、視野を広げられると思うんですよね。

例えば、奨学金を借りている学生たちは、こうした社会人たちとの面談を義務化するとか。奨学金を借りている学生たちは、彼らから『キャリアアップと奨学金返済を両立するポイント』を学ぶことができるし、社会人にしてみれば、優秀な学生を採用することができるリクルーティング活動の場所を提供することにもつながります。

即物的な提案かもしれませんが、大人たちが何も解決策を出せないまま、返済にあえぐ学生をひたすら増やすよりは、こうした取り組みを行ったほうが、貸し倒れのリスクも減るでしょう」

■学生に今一度考えてもらいたい、奨学金の「意義」

そして、奨学金を借りる学生に語る言葉も、熱を帯びている。
奨学金、借りたら人生こうなった (扶桑社新書)

「『奨学金を借りたら大変なことになった』という声をよく聞きますが、それは奨学金のせいではなく、その人自身がどのようにキャリアを形成していくべきかという、『出口戦略』が甘かったのではないかと思います。

そもそも奨学金というのは『頑張って出世して返すもの』なので、借りている以上は相応の努力をするべき。『お金がないから借りよう』ではなく、『将来ビッグになるために借りよう』というのが正しい考え方だと思うんです。

国も、債務者をたくさん生み出すために緩い審査で若者にお金を貸しているわけではないでしょうしね。奨学金を貸す側も将来を担う若者をたくさん輩出したいから、気前よくバンバンお金を出しているわけなので、借りている側もやっぱり奨学金の『意義』というのは今一度考えてもらいたいです」

奨学金の捉え方はさまざまだ。「福祉」か「投資」か、はたまた「借金」か「融資」かで語る言葉の温度は大きく変わる。この連載では多くの返済当事者の声をありのままに紹介しているが、高瀬さんはなかなかストイックな部類と言えるだろう。

しかし、さまざまな逆境を努力ではねのけてきた高瀬さんの言葉に、そうとうな強度を感じさせられたのも事実だった。